腎細胞癌(腎癌)体験記
青年海外協力隊合格し、研修参加のために会社を退職した翌日腎癌告知!派遣中止・・・ 思いがけず腎細胞癌(腎癌)という病気が身にふりかかってしまいました。この体験を綴っていこうと思います。

お知らせ

本ブログは2007年8月開設! 5月開設のココログ mhkの旅路のメモリアル-腎細胞癌-の記事を本ブログに移設しました。今はその続きをこつこつ書き始めたトコロです。 mhkの旅路の方には今の術後検診結果のこと、最近福岡の風景、お花、鳥をデジ一眼、デジスコで撮った写真を載せています。そのデジ一眼はmhkが腎癌の告知を受けた翌日に購入したカメラです。

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腎細胞癌退院後15-自分の道を模索する求職活動-
主治医へ手書きの手紙を書いて、ポストに入れた頃には、今回のJICAの顧問医師が派遣中止を決定したコトは受け入れるようになっていた。もちろん諦めきれない思いもまだまだあったけど、そのことでもう1度判断して欲しいというような行動は起こさないことをはっきり自分で決められたのだ。

 とりあえず、4月までは雇用保険が受給できるのだが、その期間を使って就職活動しなければ。でも、何の仕事を? 今度こそ海外で教えられる!と期待に胸をふくらませたこの思い、ネパール行き、今回の協力隊派遣が駄目になったことをようやく受け入れられたとはいえ、その思いを自分の中から追い出すことはなかなかできなかった。 今度こそ海外へ出るぞという思いが実現寸前まで行ったのだから無理もない。

 日本の日本語学校で教えることを選ぶと、しばらく続けないと、その職場に迷惑がかかる。JICAの短期派遣の青年海外協力隊は選考期間が短く、合格後2週間くらいしたら研修があり、その1ヶ月後には渡航となる。となると、3ヶ月更新の事務職の派遣社員の方が海外派遣の募集には応募しやすいなと思った。 それでも、ハローワークで求人票を見ると、なかなか事務職の方を見る気になれなかった。今度こそ日本語教師として働ける!と信じていたのが駄目になり、その思いをどこにも持って行けなくなって、持てあました自分がいたのだ。
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腎細胞癌退院後14-手書きの手紙 主治医へのお詫びの手紙-
退院して、1月は随分くよくよしていたmhkだが、友人と会って、話したり、メールをもらったりしているうちに、少しずつ今の自分を受け入れることがだんだんできるようになった。

とはいっても、諦められない気持ちはずっとあったけど・・・。

突然『腎癌』がmhkの身の上に降ってきて、検査、治療がさくさく手際よく行われ、健康体になって退院!はい、できあがり!仕事をしている時だったら、『ああ、早期でよかったよかった!めでたし、めでたし!』

が〜!!!協力隊に合格して、退職の翌日の癌告知・・・退院前日、派遣中止決定 

→ ほい!失業者1人できあがり・・・となったmhk。

あまりにも急展開で、心がついて行けなかった。早期発見で治療が終わったのに、やるせない気持ちで苦しくて、前向きになれない、うじうじしている自分がいやで仕方なかった。

1月が最も苦しかったな。でも、友人、家族の思いやりに囲まれて、少しずつ、自分の中に変化の兆しが生まれた。

環境が激変したから自分の心がついていけなかったって事実をしっかりと受け止められるようになってきたのね。

ちょっと自分のことを冷静に見つめられるようになってくると、16日に病院に行って、主治医にもう1度診断書を書いてくれと頼んだことがすごく恥ずかしくなった。
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腎細胞癌退院後13-同窓会inぶあいそ 親富孝通り店-
2006年1月27日(土) 久しぶりに大学院の日本語教育の講座の同級生と同窓会!場所は天神のぶあいそ 親富孝通り店。(福岡市民にしかわからんねぇ〜)

参加者はみんな2005年3月に修士課程を修了した仲間。

2005年8月に中国に渡航し、鄭州大学で日本語を教えている人(日本人)、修士修了後、元の職に戻った宮崎市内の小学校教員(日本人)、中国に帰国し、大学で教えている人(中国人)、博士課程に進学した人(中国人)。

みんなmhkにとって、かけがえのない大事な、そして、素敵な仲間達。

予定では長野県駒ヶ根のJICAの訓練所にいる筈だったmhk、復職している友人、現在中国の大学で教えている友人に会うと、なんだか置いて行かれた気になるかなと、会えるのが楽しみな反面、不安だった。夢が破れて、駄目になり、劣等感でいっぱいだったから、何か惨めな気分になるかも・・・そんな不安もちらりと。

でも、会ったら、そんな気持ちは吹っ飛んだ。新しい土地で苦労しながらも、自分なりに工夫しながら授業を組み立てている友人、復職して、可愛い生徒相手に奮闘している小学校の先生。

みんな輝いているけど、それぞれ苦労しているんだなと思ったら、素直に彼女達の奮闘ぶりに拍手したい気持ちになった。そんな気持ちになれたことが嬉しくなり、自分のことが大嫌いって思ってた感情が少しずつ少なくなっていくのを感じた。
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腎細胞癌退院後12-入院中に生まれた姪のお宮参り-
2006年1月26日(木) 右腎臓摘出手術のちょうど1週間後の2005年12月27日(火)に同じ病院の同じ病棟で生まれた姪のお宮参り。

妹一家(妹夫婦に当時4歳児の上の姪と生まれて1ヶ月の子)と爺婆(mhkの両親)とmhkの7人で参加。mhkの前日の心療内科初体験のことは家族には話さなかった。今も話していない。担当の先生のはずれた?診察(← いや、わざとそう対応したのかもしれないが、今となっては知るよしもない)で苦笑して帰ってきたmhk・・・。でも、先生がとんちんかんな話をする前に、声に出して今までの経緯を話したことで、思いっきり涙を流したのはよかったみたい。なんか、かなりスッキリ気味。それでも、夜には涙流れてきてたけどね。なかなか即元気!ってわけにはいかなかったけど、少しだけ客観的に自分のコトを見つめる自分の比率が大きくなってきた気がしてた。

ともあれ、家族みんなでお宮参りは寒かったけど、楽しかった。

出かける前に身支度している時、ちょっと鏡の中の自分を見て、うれしくなる。
10月11日の記事で書いたけど、髪を短くして、縮毛矯正して、ちょっと違う自分が鏡の中にいるのだ。いつもより綺麗に見える!!! いえ、ほんの自己満足・・。地味な顔は変わっとりゃせんのよ。もちろん・・・。うれしくて、美容院の帰りに衝動買いした茶色の帽子が持っていた茶色のカシミヤのコートにちょうどマッチしていて、何かいい〜!!と心がうきうき。← いや、脳天気だね・・・。さすが、癌告知されても、自分が治らないかもなんて微塵も思わなかっただけはある・・・。今思い返すと結構恥ずかしいヤツ・・・。
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腎細胞癌退院後11-心療内科に行ってみました-
友人からのメールで、自分の夢が駄目になったことを十分に残念がってあげることにした。自分の大切な夢だったので、それがなくなったことに対して向き合ってみようと思った。次へのステップを踏むためには、必要なことだった。

2005年1月25日(水)ネットで市内の心療内科をいくつかチェックしてみたけど、まぁわりに交通の便のよいトコロに行くことにした。因みに前日の24日はmhkの39歳のお誕生日。癌発覚し、手術した38歳とお別れ!何かを変えたくてたまらないという衝動に駆られたのかなぁ〜。39歳のほやほやのmhkは初めて心療内科に足を踏み入れてみたのだった。

行ってみたら、随分待たされた。最初の日は予約できないシステムで、ひたすら待たないといけなかった。。午前中に行ったのだけど、受付で呼ばれて、あと2時間は待たないといけないから先にお昼を済ませてから午後来るように言われた。

お昼済ませて、診察室から呼ばれた。初めて目にする心療内科の先生。診察服は着てなかった。男性の先生。

mhkの話を聞きながらノートパソコンにどんどんタイピングしていってた。これもまでの経緯を話していると、声に出して話しているうちに涙が止まらなくなってしまった。人の前では泣かないようにしてた。人前で涙ぐんだのは泌尿器科の主治医に叱られた時くらいだったと思うけど、これまでのコトを声に出して話すと改めて今回のことで悲しんでいる自分の気持ちがわかった。

ただ、50代の先生だったと思うのだけど、その先生はネパールにボランティアに行くこと自体に否定的な考えを持っていた。当時ネパールは議会、内閣停止、絶対君主制導入を強行した国王に対して市民が反発して民主化闘争が活発化していて、かなりごたついていた。協力隊の派遣自体は中止になってなかったけど、周辺国に派遣される隊員は任国外旅行でネパールに行くことは禁じられていたそうだ。

テレビでもネパールのニュースが流れていたし、新聞にもよく載ってたっけ。

まあ、そういう状況だったせいか、その先生は終始『ネパールには行かなくてよかったじゃない。自分があなたの父さん、お母さんだったら神様に感謝するよ。』って言ってた。

しかも、その後・・・今までの学歴、職歴を細かく聞かれ、協力隊への派遣決定後に腎癌発覚、派遣中止の経緯まで話したところで、

先生:ところで、結婚は?
mhk:してません。
先生:片方の腎臓(← 摘出した癌ができた右の腎臓のことね)はネパールの子供にあげたと思って、まず、結婚して5人でも6人でも自分の子供作んなさいよ。
mhk・・・・?????
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腎細胞癌退院後10-十分に残念がってあげることにした-
早期発見で癌は退治できたのに、その発見のタイミングの悪さから協力隊派遣中止、失業となったことで随分ダメージを受けた退院後のmhk。

仕事のことではタイミングは最悪でも、癌の早期発見という点では最高のタイミング。

理屈でわかっていても、諦めきれず、うじうじ。人の反応に対しても過剰に反応。それを表に感情にぶつけることはしないで済んだけど、心の葛藤があり、苦しかった。

主治医にもう1度診断書を書いてくれと頼みに行って、叱られて帰ってきて自己嫌悪。そのことを友人にメールで伝えた時、とても親身になって返信してくれる友人たち。とてもありがたかった。

済んだことをくよくよしても仕方ないとわかっているのに、くよくよしている自分が情けなかったものね。当時自分が本当に大嫌いになっていた。

そういう時に、ある友人がくれたメールが、自分のことを追いつめ過ぎてたかなと振り返るキッカケを作ってくれた。

それは9月11日の記事の腎細胞癌退院後1-退院直後の家で-に対するぴょんたさんのコメントへの返事のコメントとして書いたことと重複している。(そのコメントは 9月21日に書いたもの。)

その人のメールには次のように書いてあった。
*******************************************************************************************
まあ、長年の夢はそう簡単にあきらめられるものではないでしょう?
たった一回の健診でフイになってしまったかもしれませんが、その健診のおかげで今ボヤいている自分がいるわけだし、何年か後に元気で暮ら しているあなたがいるわけでしょう。
人生いろんな切り口があって、どこでどんなふうに切ってみるかによっ て、感じ方は変わるんじゃないかな?
今のあなたの反応は、至極真っ当です。あえてたしなめようとも、励ま そうとも思いません。
大事な夢だったんだもの、思いっきり残念がっていいんじゃないですか?
次の夢を目指そうという気になれば、それもいいじゃないですか。
ゆっくり立ち直ってください。
*******************************************************************************************

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腎細胞癌退院後9-癌=死のイメージ?知り合いの反応に戸惑う日々-
腎癌を経験して1番思ったこと。他人の『癌=死のイメージ』がとても強いこと。

自分が告知された時に受けた衝撃より、他人が自分が癌だったことを知った時の衝撃の方が大きいような気がする。そして、癌だったんだからおとなしくしておけばいいのに、海外なんてとんでもないって反応をされるコトの方がmhkにはダメージがあった。

周囲の他人のそういう反応を見て、仕事や海外派遣の採用に関係する人もそういう反応を持つ人が多いんだなって知ることになる。それはmhkの社会復帰にはとても関係することだからね。

だから、退院直後にそういう反応を目の当たりにすると自分の将来に対して悲観的になっちゃったんだろうね。癌告知された瞬間より、入院中よりその状況が辛かった。

告知された瞬間、真っ先に思ったのは『せっかく受かった協力隊派遣、JICAが許可しないかも!JICAが許可しても家族が反対するかも!医師が許可しないかも!』だった。

医師の告知ではmhkには自分の病気=死だなんて一瞬たりとも思わなかった。但し、手術しないと治らないので、100%安全な手術なんてないから、リスクはあるわけだけどね。でも、非常に小さいリスク。また、小さい癌だし、転移も多分ないだろうってことも、再発の確率もとても小さいことも教えてもらって、自分の健康に関しては心配はなかった。

ただ、他人がmhkが癌だったことを『再発の確率があって、転移があるかも、まともな健康体ではない』と見なして、決めつけられる可能性がちらりと頭の隅によぎった。医師はそんなコトは何も話さなかったけどね。それはmhが38歳まで社会生活を送ってきて、日本の社会で生きてきた経験から、何となくそんな気がしたんだろうね。

で、結構そのちらりと頭の隅によぎったことは当たってたわけ。

友人、知り合いの中でも大抵そういう反応。特に女性はその傾向が強いね。やっぱり、退院するまで女性の友人に癌だと言うことを話さなくてよかったと思った。(← 予感は的中だったわけ)

もっとも顕著な反応を見せた知り合いは、mhkが歩いている時に、運転する車の中から見つけたらしく、大きくクラクション鳴らして合図してくれた。癌だったことを退院後にメールで知らせた人だったけど・・・・まるで死から生還してきたmhkをみるようだったんだろうね。ものすごく嬉しそうにしてくれた。いい人だ・・・。とてもありがたいことだ。

最初歩いていた時にクラクション鳴らされたけど、どの車かわからないし、1度振り向いたけど、そのまま歩き出した。もう1度クラクション。構わず歩き出したら、車の窓から頭出して、
『mhkさぁ〜ん!!!』叫んできた。

振り向くと、大学へ続く狭い道。後ろの車が迷惑そうにしている。苦笑のmhk。いや、その人の気持ちはうれしいんだよ。でも・・・複雑。

それは福岡の日本語教育の研究会に行く途中で、その人もメンバーの1人で同じトコに向かっていたのだ。
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腎細胞癌退院後8-気分を変えたくて髪を短く、縮毛矯正初体験-
2006年1月10日(火)ハローワークへ行って、窓口の職員の女性の癌患者だったことに対する過剰反応に何となく気が滅入ってしまった。

何故自分が癌にならなければならなかったの?なぜ意に反して失業しなきゃいけないの?どうしてネパールに行っちゃいけないの?ぐるぐる考えがまとまらず、混乱して、蟻地獄に落ちたよう〜

ぐるぐる堂々巡りしていても仕方ない、進歩のない自分に嫌気がさして、とにかく気分を変えよう、変えなきゃ駄目だ!と髪の毛を切ることに。

いつも行っている美容院で、以前から縮毛矯正を勧められていたのだ。あんまし洒落っ気のないmhk・・・。(← あんまし・・・なんてもんじゃない全然洒落っ気ないといった方が正確かも)美容院に行く回数もあんまり多くない。入院してた時は結構髪は長めでした。いつもバレッタで留めてた。

洒落っ気がないので、あんまり鏡も見ない・・・・。しかしぃ〜入院中は暇で、ベッドから降りて病室を出て行く時に鏡の前を通るのだ。その鏡の位置は窓際で、太陽の光が当たる位置・・・・ってことで、見るつもりもなく自分の姿が目に入る・・・。今までしげしげと見なかった自分の姿。

で、明るいトコで自分の姿を見ると、ど〜しても髪の毛に白髪が交じっているのがわかっちゃう・・。入院して今まで気にしてなかった現実を知ってしまったわけ〜。

まあ、入院中自分の風貌にショックを受けたこともあり、退院後、術後検診が終わり、ハローワークへ手続きに行き、区役所で高額医療の払い戻しの手続きを済ませ、一通りのコトを終えた後に美容院に行って、髪を肩の長さくらいまでばっさり切って、縮毛矯正してもらった。

髪をばっさり切って、忌まわしい出来事全てを葬り去りたいって思ったのかも。

長くして、バレッタで後ろに留めてしまうと、ど〜しても白髪が目立つからねぇ。腎癌が見つかり、せっかく受かった協力隊派遣中止、失業・・・なんか暗いことばっかりな上、自分の白髪の多さを目の当たりにすると、ど〜んと暗くなって浮上できそうになかったので、思い切ってばっさり切ってもらった。

そこの美容院は福岡市中央区今泉にあるCRANBERRYというお店。いつも店長さんにお任せでカットしてもらっている。髪質とかもよくわかってもらっているので、安心してお任せしている。
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腎細胞癌退院後7-主治医に叱られて-
2006年1月10日(火) ハローワークへ。 雇用保険の手続きは済み、次は19日(木)に雇用保険受給の説明会に行くことになる。

さて、突然腎癌がこの身に降りかかり、早期発見で、治療も発見から1ヶ月後には済んだ。完全に健康体!でも、心は随分病んでいた。環境の変化について行けず、神経過敏で、他人の何気ない一言が突き刺さってくる。 窓口の銀行員、ハローワークの職員・・・。癌になった人間に対する他人の見方が怖かった。無職に突然なったことと、癌になった人間に対する他人の目が気になった。

一生健康体とは認めてもらえないのか・・・。行きたかった協力隊も中止となり、自分に対して自信がなくなっていた。

そしたら、もう1度主治医に診断書を書いてもらって、JICAに提出したいと考えるようになった。退院前日に病院からFAXで送信した診断書。診断書が着くなり、即派遣中止の知らせ。

協力隊の隊次変更に対しても全く検討すらしてもらってないタイミングだった。せめて検討くらいしてもらいたいと思ったのだ。

これ以後mhkがJICAの派遣のプログラムに応募した場合、不合格でも、スキルと健康問題の2つのファクターのどちらが原因なのかがわからないじゃないかと思ったのだ。(今は協力隊、シニア海外ボランティアに応募した場合、不合格の理由を教えてもらえるようになったが、当時はまだ教えてもらえなかったので)

つまり、平成17年春募集で合格したネパール派遣に関しては、スキル的にはクリアしていて、派遣中止の要因は100%健康問題なのだ。これに関して健康問題の方を主治医の診断書を添えてクリアした方が、全く別の募集に対して応募するよりは可能性があるのではないかと考えたのだ。
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腎細胞癌退院後6-ハローワーク-
2006年1月10日(火) ハローワークへ行った。

複雑・・・。社会人入学で入った日本語教育の大学院で修士を修了した直後に派遣社員として分析技術の仕事を始めた。

2005年4月に働き始め、6月に協力隊受験、8月合格。で、9月までの契約だったので、次の半年は延長しないと会社に伝え、12月から東京で研修なので、11月末まで2ヶ月延長。

半年以上働けば雇用保険がもらえます。で、青年海外協力隊に行った場合は、その間雇用保険受給をのばすことができる。協力隊2年行って帰ってきた時は、また無職になるので、仕事を探す間雇用保険受給はありがたいなと思って、退職したらその延長の手続きに行くつもりだった。

ところが、退職前日の健診で引っかかって、退職翌日に腎癌告知、12月には右腎摘出術、退院前日に協力隊派遣中止決定・・・・。

そういうわけで、延長の手続きをしに行く筈だったハローワークへ、退院して年明けて、最初の術後検診に行った後、職探しと雇用保険受給の手続きに行く羽目になったわけ・・。

日本での職探しは協力隊でネパールでの2年の任期を全うして帰国した後のつもりだった。当分日本の会社で働くことはないなぁ〜なんて思って、mhkの心は全身全霊がネパールに飛んでいってたのだから、なかなか福岡でお仕事をするモードに心がならないわけ・・・。

でも、心がそういうモードにならなくても、働かないと!その葛藤が苦しくて、ハローワークには重い足取りで向かったのだった。
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腎細胞癌退院後5-自分の欲求が壊れた時-
2006年1月6日(金)

退院して初めての術後検診も終わり退院前の検診結果と変わらず、クレアチニンの値も1.1mg/dl。尿タンパクも出てないし、貧血もなし。体は順調に回復!

但し、胃のもたれは結局退院しても治らず、食欲はないまま。食べ物の味もわからなくなっていた。一応食べようと努力したら食べられるので、頑張って食べていた。家族に心配かけるのも嫌だからね。

食欲がわかないので、自分がどの程度食べていたかは以前の記憶を頼りに視覚的な分量で食べていた。食べ物と同様にあまりお茶もお水も飲み物も欲さなくなった。これは困ったね。

もともとお茶好きなmhkは特に煎茶が好き。食後は必ず煎茶をいただくのは小学生の頃からの習慣。それなのに水分は殆ど欲しいと思わない。退院時に腎臓に負担がかかるから、なるべく水分は採るように、トイレは我慢しちゃいけませんと言われていたので、なるべく水分をとることは心がけていたけど、欲しいと思わないので、水分を以前はどの程度取っていたのかが見当がつかないのだ。

食べ物の場合は3度の食事が大体視覚的にどの程度の量だってわかるけど、水分補給の量は自分が欲しい時に飲むものだからわからないのだ。

もともと体質が冷え性のmhk。水分を取りすぎて以前体にジンマシンが出てしまったことがあった。その時の皮膚科の先生曰わく。(時期は夏だったのだが)『冷たい飲み物は飲まないこと。アイスクリームも駄目。果物は食べるなら朝。夜は駄目』

それで、水分取り過ぎたらまたジンマシンでるかもぉ〜って心配しながらも、腎臓に負担かかるから水分取らな過ぎたら駄目だし〜悩みながら水分とってた。

で、取りすぎたようで、ジンマシンがでてしまった・・・とほほである。人間の欲求って大事なのだ。お腹が空く、喉が渇いたってちゃんと体に必要な分について欲求がないと困るよ・・・。
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腎細胞癌退院後4-病院の待ち時間の辛さ-
題名を見ると、病院の待ち時間の長さにうんざりした経験について書いたのかな?って思われたかもしれませんが・・・。mhkがお世話になった病院は総合病院でしたが、大学病院ではなく、それほどがんじがらめな融通が利かない病院ではなくて、待ち時間も耐えられないほどの長さではなかった。

看護師、医師、受付、検査技師、全てのスタッフさんが親切で、とても助けられたので感謝の気持ちでいっぱいだったしね。

癌発覚後は、治療が終わったら即協力隊の訓練を受けるのもネパールへの派遣もドクターストップをかけるほどではないという医師のコトバが支えとなり、入院前の検査も、入院中も絶対にネパール派遣を実現〜。ネパールが駄目でもせめて隊次変更!(← 退院直後訓練がスタートする協力隊の隊次は無理でも、その後の隊次に変更することを申請した)を実現するという目標があったので、それほど辛くはなかった。体はきつくても、精神的には打ちのめされなかった。

それが、退院前日にJICAから派遣中止の決定の連絡を受けて、退院後の家では心は抜け殻・・・退院直後はしばらく出産した妹の娘である4歳の姪を預かっていたので随分紛れたけどね。

姪が帰った翌日の退院後初の術後検診はとても辛かった。血液検査結果が出てから診察になるのだが、採血してからの待ち時間は約1時間。9月26日の記事 腎細胞癌退院後2-退院後初の術後検診- でも書いているけど、病院の最寄りのバス停に近づいて息が苦しくなり、病院の玄関、泌尿器科の待合室で、息ができないほど気分が悪くなるのだ。癌だとわかった後でもネパールに絶対に行くぞって思ってた時には、検査の待ち時間でも、入院中でも前向きになれたのに、派遣中止となってからは、その病院の中は殺伐としたものに感じられたのだ。それは当時は自分ではどうしようもないコトだった。
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番外編 癌告知直後の思い出-カメラのキタムラのPOINT CARD-
2005年12月1日(木) ある病院の泌尿器科で腎癌告知を受けた。

涙流しながら人通りの少ない海沿いの通りを歩き回り、しばらくして落ち着いて、街中の方へ。立ち寄った天神のカメラのキタムラでずっと欲しいと思っていたデジ一眼のカメラが安くなっているのを見つけた。型落ちのPENTAX ist DSが標準ズームレンズ DA 18-55mm 3.5-5.6 AL付きで¥55,000。店員さんに随分説明してもらって、欲しいぃ〜という気持ちでいっぱいになったけど、協力隊のネパール派遣が怪しくなって、使うこともないかもぉ〜と買わなかった。

翌日2日(金) 再び病院で腎シンチの検査をつけた後、泌尿器科担当医に協力隊に受かっていて、翌年4月からネパールに行くことになっていると告げた。『何寝ぼけたことを!』と怒られるかと思ってたら、意外や意外!『いいですよ。』と主治医。

『1年は経過を見た方がいいので、医者として両手(もろて)を挙げて賛成というわけにはいかないけど、ドクターストップをかけるほどじゃない。あなたの人生なのだから、あなたが決めなさい。』というのが主治医のお言葉。

ドクターストップをかけるほどじゃない程度の癌だ!!!ネパール諦めるコトないんだ!と心が随分晴れやかになり、病院を後にしてまっすぐカメラのキタムラへ!
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腎癌経過観察 検査結果-1年9ヶ月後-
本日、再び泌尿器科に術後検診に行ってきました。
1ヶ月前にちょっとクレアチニンの値が悪かったので、念のための再検です。

内容は ココログ mhkの旅路の 腎癌経過観察 検査結果-1年9ヶ月後- に書いています。
興味がありましたら、覗いてみてください!

結果は少し改善されていたので、大丈夫でした!!

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プロフィール

mhk

Author:mhk
2001年:オーストラリア メルボルンの日本語学校で教え、帰国後、日本語教育の修士課程を修了。
2006年に4ヶ月青年海外協力隊(JOCV)で中国 大連市の中学校に派遣、2007年2月に福岡に戻る。今はちょっとおとなしく日本で派遣社員です。

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