腎細胞癌(腎癌)体験記
青年海外協力隊合格し、研修参加のために会社を退職した翌日腎癌告知!派遣中止・・・ 思いがけず腎細胞癌(腎癌)という病気が身にふりかかってしまいました。この体験を綴っていこうと思います。

お知らせ

本ブログは2007年8月開設! 5月開設のココログ mhkの旅路のメモリアル-腎細胞癌-の記事を本ブログに移設しました。今はその続きをこつこつ書き始めたトコロです。 mhkの旅路の方には今の術後検診結果のこと、最近福岡の風景、お花、鳥をデジ一眼、デジスコで撮った写真を載せています。そのデジ一眼はmhkが腎癌の告知を受けた翌日に購入したカメラです。

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腎細胞癌発見18-入院生活 JICAの顧問医の決定-

2005年12月28日(水)
前日妹の二人目の娘が同じ病院で誕生。
朝一、朝食の後に残りの抜糸終わり。

その日はJICAの御用納めの日。

mhkは翌年の2006年の1月6日から長野の駒ヶ根訓練所で語学訓練などの訓練を受け、3月終わりにネパールに派遣予定だった。

それが、東京での日本語教師技術補完研修を受ける2週間前に腎癌発覚となり、JICAの方に事情を説明していた。とにかく治療が終わらないと何とも言えないとのことだった。

年内に退院でき、訓練参加、ネパール行きもドクターストップをかけるほどではないという主治医のコトバを伝えていたが、組織検査が出た後、主治医の診断書をJICAの健康管理センターに提出するように言われていた。その診断書を見て、判断するとのこと。

mhkも主治医がいくら訓練参加も可能と言ってくれたとはいえ、年末ぎりぎりの退院では1月6日からの訓練参加についてはJICAの健康管理センターが許可するとは思えなかったので、隊次変更を申請するつもりだった。

当時、協力隊は一次隊(7月出発)、二次隊(12月出発)、三次隊(3月出発)に分かれていた。mhkは三次隊のネパール派遣だった。

自分の勝手な都合は認められないが、やむにやまれぬケースは隊次変更が認められることがある。但し、同じ国に行けるとは限らない。

そういうわけで、一次隊か二次隊に変更することを申請できないかと思ったたのだ。隊次変更って、その隊次に決まっている人もいるわけで、それに辞退者がいた場合にはうまくいけば行けるかもしれないという程度かもしれないが、可能性は捨てたくなかったのだ。せっかく受かって、会社も辞めたのだから。

健康管理センターの医療調整員(看護師資格を持つ)にその旨を入院前に伝えておいた。すると、もともと参加予定の訓練が1月6日スタートなので、隊次変更の申請をするにしても、その年の御用納めの日12月28日までに主治医の診断書が必要だと言われていた。

組織検査結果が出るか出ないかわからないので、JICAサイドのこの条件はかなり厳しいものだっだ。

それで、腸が動き出してからというもの、毎日病室に来られる先生に処置の後、組織検査の結果がまだかどうか尋ねていた。そして、結果が出た後、JICAにFAXを送りたいので外出許可を願い出てみた。先生曰わく、病院の総務からFAXは送れるで外出の必要はなしとのことだった。

前の晩はベッドの上でJICAに出すFAXの送り状を何度も何度も推敲して書いた。診断書とともに送るためにである。

抜糸の後売店に新聞を買いに行って、戻ってくると、同室の患者さんのお母さんが、マイクで先生が呼んでましたよと教えてくれた。急いでナースステーションに行くと、看護師さんが先生を呼んでくれた。

腎細胞癌発見17-入院生活 術後7-

2005年12月27日(火)
癌ができた右腎臓摘出手術を受けたのは1週間前の20日。
1週間たって、順調に回復しているので、抜糸。奇しくも、その日は妹の二人目の娘が誕生。同じ病院の産婦人科で。

抜糸をしに担当医登場〜。
傷は3つある。まず、おへそのちょっと上に縦7cmの傷。← ここから先生の手が突っ込まれ、密閉した後内視鏡で処理され、最後にここから右腎臓摘出したトコね。
それとおへそから右に6cmくらいの位置に横1cmの傷。ここはカメラのポートが入ってたとこらしい。
そして、3つ目は最後までドレーンチューブ(廃液チューブ)が付いていたトコで、カメラのポートが入ってた傷から右に5cmの位置に横1.5cmくらいの傷。

ドレーンチューブが最後までついていた傷は、チューブを抜いた後で毎日消毒してもらってて、ガーゼをあててテープでくっつけてある。

カメラのポートが入ってたところはホッチキスが1カ所、先生のおててが入った1番大きな傷はホッチキスが数個刺さっている。

抜糸はそのホッチキスを先生がピンセットで抜いていくのだ。別に痛くないのよ。← 読んでブルっとした人いたかしら??

その日はカメラのポートが入ってたトコの1個のホッチキスと先生の手が入ってたトコのホッチキスを1個おきに抜かれた。残りのホッチキスは翌日抜くそうな。

ホッチキスを抜いた後、いつものようにドレーンチューブのくっついてたトコの傷の消毒をしてもらった。

さて、看護師さんが先生に渡そうとしたガーゼが大き過ぎたらしい。← mhk本人は消毒してもらってて、体を横たえているからよくわからないけど・・・。

担当医:そんな!大きいよ!
看護師:(どぎまぎしながら・・・)え、えっと、どれくらいですか。
担当医:もう殆ど出てないんだからさぁ。(← 傷痕から血が出てないってこと)
看護師:えっと・・・(← 何故かガーゼをどれにするか迷ってて、手間取っている)これくらいでいいですか?
担当医:もう、そんなに出てないのに。ねえ。(← これはmhkの方を見て・・・いや、mhkは血とか駄目なので、傷口なんて見れないのだ!!!ずっと見るのは避けていた。ドレーンチューブがついていて、透明なチューブの中を自分の血が通っていくのが目に入るだけでくらくらしてくるくらいだったのだ。そんなこと振られても困るよ!!!)
看護師:あの、これくらいでいいですか。(なぜか、おずおずと)
担当医:そうやろうね。

看護師さんと担当医の会話・・・何だか不毛〜。看護師さんは自分でも消毒なんてしょっちゅうするだろうし、患者がそこにいるんだから、傷を見ればガーゼのサイズなんてわかると思うんだけど・・・・。どうして、そんなにおずおずと迷うのかわからないぃ〜。先生も看護師さんがぐずぐずしているんなら、その○○cmくらいのでいいよとか言ってあげればいいのにぃ〜・・・。よくわからないなぁ〜。

この担当医の先生、淡々としてて、声はちょっと甲高くて、大きい。mhkは関西で4年働いていて声の大きいオヤジにまみれて働いていたから、声の大きい人が怖いとかは思わない。mhkにとっては、心がネパールに向かって一直線!!!の時に突然降ってわいてきた腎癌という事実で、理性では病気の早期発見でよかったと安堵して、受け入れているつもりでも、あんまり突然だったので、心は対応しきれなくて、おたおたしてた時だった。
なので、あんまり余計なことをべらべら喋られるより、こっちが聞きたいことに対してきちんと説明してもらえる担当医でとても助かった。

腎細胞癌発見16-入院生活 術後6-

2005年12月26日(月)
同じ病室に前日退院した女性と入れ違いで新しい方が入院。
病名は2003年7月にした手術と同じで、卵巣嚢腫の手術。組織検査しないと厳密にはわからないけど、ほぼ良性と思われる腫瘍。でも、ご両親、本人も婦人系の病気になったことで、非常に深刻な表情。気の毒なくらい・・。←mhkが手術前のんき過ぎたのかもしれないけど。そういう意味ではmhkは手術に関しては鈍感力パワー全開だったようだ。

翌日抜糸の予定のmhk。お腹の傷は糸でくっつけてなくて、ホッチキスがパチンパチンと打ち込まれているのに、ホッチキスのシン抜くのもやっぱり抜糸っていうんだなぁって変なトコで感心する。(← いつか日本語学習者に糸じゃなくても抜糸だと教えてやろう〜と日本語教師の心がちらり)

先生がドレーンチューブの傷口の消毒にやってくる。消毒が終わって、早速・・・気になるコトを聞いてみる。

mhk  :あの〜もう手術から1週間ですよね?組織検査の結果ってまだなんですか?
担当医:まだ来てません。
mhk  :あの、これ、ネパール、カトマンズの病院にある医療機器の一覧なんです。(事前に妹の友人でJICAの医療調整員の経験のある人からカトマンズで一番大きな大学病院の名前の情報をget、そのwebサイトを調べておいたのだ。そこが所有する医療機器の写真が載っているページを印刷して持ってきておいたのだ。)
担当医:(見ながら)え、これ、違うんじゃない?
mhk  :(傷が突っ張って痛いけど急いで起きあがる。消毒されていたから体横たえてたのでね。見ると、自分へのネパール派遣の要請の書類を間違って渡してたみたい。)あ、これ違いますね。こっちです。MRIもCTもエコーの装置もありますよ。
担当医:(見ながら)CTがあるのか。じゃ、いいかなぁ。
mhk  :(先生のそんな一言が嬉しくって仕方ない!)
担当医:組織検査結果が出てからだね。

そう言って、先生は病室を出て行かれた。mhkは小躍りしたい気分!でも、相変わらずお腹がはって、腸の動きは鈍い・・・。お食事はその日の昼から七分がゆになる筈だが、到底無理だと思って、五分がゆをしばらく続けてほしいとお願いした。

さて、実はこの日妹がお産のため、同じ病院の1階上の病室に入院。翌日帝王切開の予定。あ〜あ、何も姉妹で同じ病院に入院しなくてもいいのにねぇ・・・。妹が大きなお腹のまま遊びに来た。妹は翌日腹切りである。

姉妹揃ってお腹切られるなんてねぇ・・・。

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腎細胞癌発見15-入院生活 術後5-

2005年12月25日(日)
右腎臓摘出手術を受けて5日目にお食事スタート。クリスマスイブにようやくガスが通ったのでね。

お食事始めたけど看護師さんの勘違いで、流動食スタートが三分がゆスタートとなり、腸には優しくないお食事スタート。

1度ガスが申し訳程度に通ったとはいっても、やっぱり腸の動きはあんまりよくなくて、お腹に空気が溜まっているようないやな感じ。点滴の量が少なくなり、点滴の針を抜いている時間も多くなったので、身軽な時はなるべく病院の廊下を歩き回って、腸よ、動け!!!早く回復してネパール行ってやる!!!と頑張ってみたが、なかなか元気にならないmhkの腸〜。

そうそう、術後何日かガスが通らなくて苦しんでた時、息苦しくてたまらなかったんだけど、その原因となってた腰痛と背中の硬膜外麻酔のチューブのことにまだ気が付いてなかった。原因がわからないから不安で、上半身を起こすのが辛くて、べそかいてた時、担当医がすぐ来てくれて、いろいろ処置してくれたんだけど、その時に担当医が言った言葉にはっとした。

担当医:こういうね、大きい手術をした時はね、手術の間腸の動きを止めているから、手術の後、なかなか腸が動き出さないことがあるよ。

mhk:(え〜!!!! わたし大きな手術をしたのぉ〜!!!!???

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腎細胞癌発見14-入院生活 術後4-

2005年12月23日(金)
その日は天皇誕生日祝日。

相変わらず腸は動かず、お腹が張っている。きつい、眠れない。今日は祝日だし、担当医は来ないんだろうなぁって思ってたら、同室の人の朝食が終わった頃に病室に来られた。
こっちはぐったりしているけど、明るい声で『おはようございます。』と言って、『お腹の音聞かせてねぇ』と聴診器を当てる。

通常なら挨拶されて、挨拶返さないなんてことないけど、お腹張っている上に、眠れなかったもんで、挨拶されても誰にされているかわからないというか、ぼぉ〜っとして、なんか遠くで声が聞こえる感じ。反応が非常に鈍い感じ。何だか自分が自分じゃないみたい・・・。

聴診器当てた後、『まだ、動いてないね。』と言われた。

さて、夜中も相変わらず眠れず・・・。お腹が張って気持ち悪いし、体動かしたり、座ってみたりしてたけど、口からゲップはよく出ても、下に通らない。でも、ようやく明け方4時過ぎて、申し訳程度にお尻からガスが通った。ほんの少し。スッキリしたって感じじゃないし、ほんの少し抜けても、お腹に溜まってくる空気の方が多い感じで相変わらす張ってたけどね。

でも、翌日クリスマスイブの朝、看護師さんに報告!
腸が動き出したからその日はお水を飲んでいいと言われる。

クリスマスイブの明け方にガスが通ったわけねぇ。その日は担当医は午後に病室に現れた。

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腎細胞癌発見13-入院生活 術後3-

2005年12月22日(木)
尿管取れて、歩けるようになったし、息する度に苦しくなる症状もなくなったし、あとはガスが通ってくれるのを待つばかり・・・

しかし、ガスはなかなか通らない。腸がなかなか動いてくれないのだ。
手術後も毎日担当医は病室に来られる。

お腹の音聞かせてねと聴診器でmhkのお腹の音聞いてみるけど、『まだ動いてないね。』実際ガス通ってないから、息するたびに締め付けられる症状はなくなったとはいえ、相変わらずお腹が張ってて気持ち悪い。

尿管も取れたから、なるべく歩いて、体動かして腸が動いてくれるように努力する。まだ点滴が腕にくっついているから、ごろごろキャスター転がしながらトイレ行ったついでに廊下をうろうろしてみたり、頑張るが、へそ曲げちゃったmhkの腸は動いてくれない。。。

体を横たえていると、どんどんお腹が張ってくる感じで眠れないし、下にガスは通らず、赤ちゃんみたいにゲップが出るし、ホント気持ち悪い〜。

そのことを担当医に訴えると、念のためレントゲン撮影と言われる。
担当医:あ、今度は装置持ってくるんじゃなくて、こっちから行こうか?(前日はポータブルのレントゲン装置が病室に持ってこられて撮影)
mhk:はい。

その後看護師さんが車いす持ってくる。え、やだぁ〜。歩けるんだし、病室3階で放射線科は1階だけど、『エレベータがあるから歩いていけます。』と主張。
その日までジャッジアップもできないと言ってたのが背中のチューブ外した途端立って歩けるようになったのだけど、看護師さんは随分心配だったみたい。
難色示されたけど、最後は歩いていっていいと言われた。

寝ているとお腹張ってくるんだけど、かえって立って歩いている方が楽だったのよ・・・。それと、お腹の傷7cmあるから体を横たえたり、座ったりする瞬間はお腹引きつって、まだ痛い。歩いていくと、レントゲン撮影のためにベッドに横たわる時と撮影後に体起こす時は痛いけど、それだけで済むもの・・。車いすで行くと車いすの乗り降りの際にお腹が引きつる・・・。

レントゲン撮影したけど、やっぱり異常なしだった。ガスが通るまではこんな感じなんだろうねぇ・・・。

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腎細胞癌発見12-入院生活 術後2-

術後2日目 2005年12月22日(木)

相変わらずガスは出ない。腸がまだ動いていない。
看護師さんがやってきて、少しジャッジアップしてみましょうかと言ってくれるのだけど、体を起こすと息が苦しくなるし、気分が悪くなるからと断る。

今は手術の後癒着が起こるのを防ぐため、すぐ歩くように言われる。卵巣嚢腫の手術の時なんか手術翌日には歩いてたもの。同室の人も術後看護師さんに歩くように言われてた。『歩かないと、よくなりませんよぉ〜』って。

手術翌日に同室の人の担当医が病室に来たのだけど、mhkにも『どんどん歩いてね。歩いたらよくなるからね。』と言われた。同室の人の担当医は翌週帝王切開で出産予定の妹の担当医でもある。

わかってはいるけど、体を起こすと背中の方を締め付けられるようで息苦しくて無理・・・。

担当医やってくる。横で看護師さんと話しているのが耳に入る。
担当医:おしっこの管(尿管)を抜いたら、とにかくトイレまでは歩かないといけないよな。
看護師:(無言)
担当医:あ、無理か。ジャッジアップもまだだったんだな。
看護師:はい。

体横たえたまま聞いてたけど、先生の話変じゃない?苦しくて体起こせないのに、尿管抜いてトイレまで歩かせようなんて・・・。でも、会話からこの手術の後2日目になっても歩いてないことが問題だと医師、看護師が考えていることだけはわかった。(← 横で聞いてた同室の人も後で笑ってた・・・先生結構むちゃくちゃ言ってたねぇって)

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腎細胞癌発見11-入院生活 術後1-

2005年12月20日 2cmの腫瘤ができた右腎臓摘出手術無事終了

本人は全身麻酔で全く覚えがない。局部麻酔で手術経験ある妹の話では局部麻酔だと自分の内臓が引っ張られるのも感じるから嫌なもんだよって言ってたっけ。

全身麻酔だとお世話になった人のことが全くわからない。
オペ室担当の看護師、麻酔科医は術日の前日に挨拶と説明に病室まで来られた。今回は担当の麻酔科医は来られず、代理の麻酔科医の方だった。

当日は手術室に向かう前に痲酔される時に担当の麻酔科医に会ったけど、手術衣に大きなマスク姿じゃ全く容貌はわからない・・・。

泌尿器科の執刀医だけは外来診察で話をするから、手術前も手術後もずっと会うのだけど、他のスタッフの人とは、ほぼ面識がないままである。術前、術中、術後とずっとmhkの命を守ってくれている人たちなんだけど、お世話になっている当人は眠って知らないからね。

2005年12月21日(水)
手術翌日である。
経過観察室(ナースステーションの隣にある)で目が覚めた時には同じ日に手術した人も一緒。でも、他の人はわりに軽い手術だったらしく、すぐにジャッジアップ(ベッドの傾けて、上半身を起こす)して、朝食タイム。歯磨きタイム。もうガスが出たんだろうね。

mhkはジャッジアップもまだ、ぐったり〜。ガスも出ないから水も飲めない。手術中腸の動きを止めているから、ガスが出て、腸が動き出したことが確認されてから初めて水が飲める。絶飲食がまだ続いているわけ。← 点滴入れているから飲み食いできないのは全く辛くない。

寝たまま歯磨きだけさせてもらった。

起きた状態のmhkは背中に硬膜外麻酔のカテーテルが指し込めれて、お尻には尿管、お腹は傷3つ。その一つにドレーンチューブ(廃液管)がくっついている。

立ってトイレに行くまでは尿管はとってもらえない。硬膜外痲酔は全身麻酔が切れた時の痛みを和らげるために少しずつ硬膜外痲酔が入った小さなボトルからカテーテル経由で少しずつ身体に痲酔が入ってくるのだ。

まだガスは出ないからお腹がちょっと張っている感じで気持ちが悪いし、なんだか、ぐったり。チューブなどはついた状態のまま 経過観察室からそのまま病室にベッドごと移動してもらった。

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腎細胞癌発見10-手術日-

2005年12月20日(火) 右腎臓が摘出された日

前日入院して下剤飲んで、お尻がひりひりするほどトイレに行って・・・健康そのもので入院したmhk、既によれよれ・・夜中同室の人の寝息聞きながら涙を流した。

手術は13:00から。麻酔等の準備が11:00過ぎくらいという話。

朝、担当医がmhkの名前が書かれた(書いたのはmhk)ネームバンドを持って、やってくる。
担当医:おはようございます。よく眠れましたか?
mhk  :おはようございます。 はい。(答えながら、どうせこっちは手術中全身麻酔で眠っているだけなんだけどね・・何時間も手術する先生の方こそ眠れたのかこっちが聞きたいよ・・・。)

担当医に腕にバンドを付けてもらうけど、手首が細いmhkにはやけに緩い留め方だった。
担当医が病室出た後、同室の人がしきりに
『そんな緩かったら邪魔でしょう。看護師の人が来た時に、はさみで切って長さ短くしてもらって、きちっと留めててもらったら?』と言う。
mhkにとっては、もうネームバンドなんてど〜でもよい。知ったこっちゃないって感じ・・・。だって、お次は、やぁ〜な浣腸なんだもん。前日朝から下剤飲まされ、何度もトイレ行って、最後のトドメをして、腸を綺麗にするのだ。

浣腸室に行って、看護師さんにしてもらい、そこのトイレで出した後、もう残ってないかどうか、出した後を看護師を呼んでチェックしてもらうの・・・。ぐすん。卵巣嚢腫の時もやったから覚悟してたけど・・・。

で、あんだけトイレ往復したけど、浣腸後出方が足りなかったそうで、2度も浣腸されて。お尻ひりひりで感覚なくなった。気持ち悪いけど、無事に腸は綺麗になったのねぇ。

パジャマから病院の寝巻に着替える。はぁ・・入院まで元気いっぱいだったもんで、朝からため息ばっか。入院前まで病人とは真逆の位置にいた自分が入院後病人になっていく気がしてたけど、手術前の準備している間に、すっかり憂鬱になってしまった。

極めつけ。看護師長がやってきて、mhkを見た時こう言った。とっても優しく。
『おはようございます。ああ、やっぱり不安よねぇ。
そういって、肩を抱いてくれた。

看護師長は善意で温かく声をかけてくれた。でも、mhkにとっては、痛くもな〜んにもない、完全な健康体にしか感じられないまま、狐につままれたように入院したのだ。先生がまるで美容師が髪切るみたいに腹切りの話してた(ようにmhkには感じられた)し、手術が怖いと思うこともなかった。それが、『やっぱり不安よねぇ〜』と言われたのだ。

やっぱり、不安に感じるようなコトが今から起きるんだな。)
そう、初めてmhkは手術に対する不安を感じた。肩抱かれた時、実はぞくっとしたのだ。
→ あ、これは別に看護師長が悪いというわけではない。mhkの心のタイミングがちょうど初めて手術現実と捉えてしまったんだろうと思う。

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腎細胞癌発見9-入院しました-

2005年12月19日(月)朝9:00 病院着
その日から入院10日くらい。翌日20日(火)が手術日。mhkの右腎臓君グッバイデー

身体の不調は全くない。まだ自覚症状も無し。血液検査、尿検査のいずれも異常値無しだから。なので、父の車で送ってもらうことは断り、バスで行った。だって、健康そのもののこの身体。人に何かしてもらうことない。病室の番号がわかったら電話するからと母に言って『行ってきます〜。』と家を出た。荷物にはノートパソコンとデジカメを忘れずに。

何故デジカメかって?1週間遅れで妹が帝王切開で出産するために同じ病院の同じ病棟の上の階(mhk 3F、妹 4F)に入院するのだ。生まれたてのホヤホヤの赤ちゃんの撮影しなくっちゃね!

病院に着いて病室に入り、パジャマに着替えて、まず下剤飲まされた。翌日の手術に備えて腸を空っぽにしないといけないのだ。最後の食事は昼食で、夜は流動食。

mhkはお腹緩い方で、便秘なんてめったにならない。下剤飲んだら効果抜群・・・。もうトイレとお友達。お尻が痛いよぉ〜。ぐすん。起きた時は健康そのものだったのに、病室入ったら下剤のおかげで半病人・・・ぐったり〜。気持ち悪い〜。

しかも、昼食はカレーライスだった。駄目!その臭いだけでムカムカしてきて、ご飯だけほんのちょっとだけ食べた。うう、術前の最後のお食事なのにぃ〜。ま、でも、病室でじっとしているだけなのでお腹も減ってなかったし、それほどは・・・ね。

さて、午後は麻酔科医の説明。mhkの担当の麻酔科医はその日これなくて、代わりの先生が病室に登場。ものすご〜く早口。ただし、2年前同じ病院の婦人科で手術したことあったので、一応理解できた。これ初めてだったら理解できなかったかも〜。あんまし早口で、どこで質問していいかわからないのだ。女性の先生だった。(あんた、もちっと話し方勉強した方がいいよ・・。)mhk心の叫び。

その後看護師さんが『シャワー行ってきていいですよ。』と。
しばらくシャワー浴びれないし、行ってくる。普通は病院はシャワー毎日浴びれない。決まった曜日のみ。でも、1つ上の階の産院は毎日シャワーが浴びれるの。女性はそこを使えるので毎日使えるのだ。術後シャワーの許可が出たらね。

早速シャワーへ行ってくる。

病室は2人部屋。同室の方は44歳の主婦。以前この病院で栄養士をされていたそうだ。その方は子宮摘出手術を受けられた後だった。子宮癌検診でずっとセーフゾーンだったけど、それが悪い段階になって、3人のお子さんを出産されて、もう出産の予定がないので、子宮摘出を決めたとか。同室の方の主治医はmhkの妹の主治医と同じ。

シャワーから戻ると同室の方が、『mhkの担当医が来られた』と教えてくれた。(看護師さんにシャワー行くように言われたのにな)と思いながら、荷物置いて再びトイレに駆け込む。
温まったからだろうか、シャワー行く前に散々トイレと友達だったのに、ひどい下痢。お腹痛い。しばらくずっとトイレの中で呻いていた。

げっそりなって気分最悪で病室に戻ると、同室の人が、また担当医が来られて、しばらく待ってたけど首かしげて戻っていったと教えてくれた。

ナースステーションに行ってみたけど先生はいない。ま、いいかと病室に戻る。

担当医とすれ違いだったねぇ。夕食(流動食だけど)の後、ようやく担当医が来られた。もう夕方6時半。

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腎細胞癌発見8-告知された直後-

2005年11月29日の健診の腹部エコーで精査要と言われ、その足でCT検査に向かったが、待ち時間の間京都の会社の元同僚の1人に携帯メールを送った。

mhk   :腹部エコーで腎臓なんか引っかかったからCT検査。
元同僚:石(=結石)かね?
mhk  :2cmくらいやて。
元同僚:2・・,2cmやて?!

そう。普通結石ってエコーの段階でわかるよねぇ。でも、クリニックの院長は『石』だなんて一言も言わなかった。それに、よく聞く結石ってmmの単位のような・・・7cmの臓器に2cmの石があって自覚症状ないってことはなさそ〜。しかもクリニックの院長は、はっきりと『腫瘤』って言ったしなぁ〜。

放射線科の医師にも『腫瘤があるから泌尿器科診察要』と言われ、帰宅後ネットで調べて、何となく腎臓癌の臭いを感じ取る。でも、『癌』と声に出すと現実になる気がして誰にも言えない。

その夜、高校の同級生の産婦人科医にメール。

mhk  :腹部エコーで腎臓引っかかり、CT検査したら2cmくらいの何かがあるけど水とかじゃないらしい。12月1日に○○病院の泌尿器科を受診予定。○○病院の泌尿器科って評判どうですか。
同級生:病院と縁が切れませんか(← その年の初めにノロウイルスで入院したしね)腎臓は身体を支える大事な臓器なので、症状がないうちに見つかってラッキーと思いましょう。○○病院の泌尿器科は周辺の病院のレベルと遜色ないようです。泌尿器科は横の連携がしっかりしていて、難しい症例でも別の病院の先生がカンファレンスなどで関わってくれるようです。

このメールを受け取って、○○病院の泌尿器科にお任せしておけばいいやって考える。このメール今読み直して見たけど、同級生の医師へのメールでも『腎臓に何かあって・・・水とかじゃない』って書いている。ネットの検索ではキーワードに『腫瘤、腎臓』ってinputしたけど、メールには、その現実が怖くて、どうしても『腫瘤』って書きたくなかったんだだなぁ・・・。クリニックの院長にも放射線科医にも『腫瘤』って言われたのにね。

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腎細胞癌発見7-入院までの日々-

さて、2005年12月1日に腎癌という病名を医師に告げられて、検査した結果、5日には外科治療のみでよいと説明を受けて、12日に術前検査。これで19日から入院するだけ。20日が術日。

12月5日転移がなかったことがわかった後で、母に説明した後、今度は12月以降に入っていた予定のことで、いろんなところに連絡をしなければならなかった。

12月5日:JICAに連絡

  • 手術日程が突然入ったことを連絡し、東京での1週間の日本語教師対象の技術補完研修(12/16〜22)が受けられなくなったこと報告。

  • 29日頃退院予定で、1月6日からの訓練参加には医師の許可を得られていること。
    → これに関しては手術が終わって組織検査結果が出ないとJICAも判断ができないので、手術終了後に連絡することになった。担当医師には12日の両親への説明の際に診断書をお願いした。(8月16日の日記参照)

12月6日:航空券とホテルのキャンセル
10日に大阪である第二言語習得研究会に参加しようと思ってたのだけど、翌日11日の朝から24時間家で採尿しなければならず、断念。旅行会社でキャンセル。
   
12月9日:引き受けていたレクチャーのキャンセル連絡

12月25日予定の、福岡で作っている福岡JSL研究会という日本語教育の研究会でのレクチャーを中止すると参加予定者に連絡(メール)

実は前のレクチャーを11月27日にしていた。その2日後の健診で引っかかり、そのまた2日後に癌告知・・・その時は参加者のみなさんにも『ネパール行ってきま〜す!!』と言ってたというのに翌月の20日には右腎臓摘出なんだから、人生一寸先は闇。何が起こるかわからないものだ。

ドタキャンだが、いきなり癌になりましたって言ったら研究会のメンバーにビックリされると思い、体調を崩し、ドクターストップがかかったと説明しておいた。(← ドクターストップも何も入院中だから・・・ね)

 

12月12日〜入院前まで:

1月6日に入所する予定のJICAの駒ヶ根訓練所宛に提出する書類書き
訓練所入所に伴う書類からネパール派遣のために必要な書類(任地に提出するための履歴書等々)
→ 術後JICAが派遣の可否を判断することになるが、行ける場合に備えて準備し、入院前に郵送。

これを準備するのは辛かった。ネパール派遣のために11月末で仕事を辞めたのに、辞めた翌日に癌告知。もし派遣中止になったら失業者。仕事を辞めていなければ単に10日仕事を休むというだけなのに。仕事をしていたら『癌』になったからといって仕事を辞めさせるなんてことは(長期療養が必要でもないし)ないが、新たに仕事を得る、派遣への応募をする場合、『癌』になったということが壁となるだろう。そして、不採用の場合、健康問題が原因か、スキル不足が原因かがこちらにはわからないわけだ。そういうことを考えると、治療自体よりも治療後の自分の人生のことが不安でたまらなかった。

その不安を吹き飛ばしたいために『絶対に入院長引かないで済むように治ってやる! 治ってネパールに絶対行ってやる!』と決心して書類作成に励んだ。入院前は、失業者になるかもという不安でいっぱいで眠れず、夜中に泣きながら書類を書いていたなぁ・・・。
そう、健診で初めてわかった病気って、自覚症状がない段階で早期発見で非常に喜ばしいんだけど、なかなか健康そのものの身体で自分が病人だと認められないのだ。

いきものは人間も含めて『痛み』を信号として自らの身体の不調を認識する。野性動物なら自分の体力が勝つか病気、怪我が勝つかじっと安静にして待つのだ。体力の方が勝れば生きられる。人間なら病院に行くけどね。

でも、その信号が感じられる前に病気ということを文明のおかげで知ることができても、身体や心が納得していない。理屈で知識としてわかっても、身体や心が不思議と言っているので自分の中で混乱しているのだ。そういう不安だった。

健診受けた20日ちょっと後には、もう手術を受けられるんだから幸運なことは十分理解している。悪性腫瘍でも病院のベッドが空いていないから待たなければいけない人が日本にもいるのだ。日本国中全ての患者が平等に治療を受けられるわけではない。地方によっては病院、医師不足な場所もある。そういって自分自身を説得、納得させようとしていたが、拒否する心もあって、苦しかった。

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腎細胞癌発見6-2005年は災難続き-

mhkは腎癌の手術を2005年の年末に受けて、翌年2006年の9月〜2007年1月までJICA青年海外協力隊短期で中国大連に日本語教師として派遣されていた。3月からのネパール派遣は残念ながら中止となったので。(←そのお話はまた後日)

その大連の短期派遣は2006年7月にJICAが募集したもの。mhkの前任者の協力隊員は長期派遣(=2年派遣)で2005年7月に帰国。夏休み後新1学期が始まって9月にmhkが派遣されたわけだが、なぜ短期でというと、実は本当は長期の隊員の派遣が決まっていたのに辞退されたそうだ。(←mhkもネパール長期派遣を辞退ではなかったけどキャンセルになっちゃったから、こういうこともあるんだね。)

それで急遽短期派遣が募集があり、短期ならと顧問医師の許可も出たんだろうね。(その説得のために執刀医に2通も診断書を書いてもらった・・・もう執刀医の先生には足を向けて寝られない。社会復帰の大恩人というわけだ。)

で、後任はmhkの帰国後から半年たってからじゃないと派遣されなかったんだけど、ようやく大連に赴任されたとのこと。可愛い生徒達を残して帰国し、日本人教師不在が心残りだったので、後任着任の連絡は嬉しかった!日本からエールをおくるよぉ〜!!!とにかく、後任の彼女が体に気を付けて楽しく生徒達と過ごされることを祈っている。

ところで・・・・高校時代の友人と話した時に気が付いた( ← というより指摘された)のだけど、癌発覚の年2005年ってmhkは災難続きだった。

2004年の年末 ノロウイルスによる胃腸炎に感染し、入院1週間。退院は2005年1月はじめ。

思えばこれが激動の2005年の幕開けだったのだ。

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腎細胞癌発見5-医師の家族への説明-

2005年12月12日(月)
午前中は術前の検査。耳の部分をちょこっとだけ切って、血が止まるまでどのくらい時間がかかるかとか、血液検査。

検査終了後、午後に泌尿器科の待合い室に行ったら両親が来ていた。本日は担当医の先生から両親に説明をしていただくのだ。

これ結構ドキドキ・・もうmhkがわかっていることは全て話してあるけど、さて、ネパール行きのことを両親にどう説明されるか、両親がどう受け取るかってことが気になって仕方ない。

呼ばれて、3人で診察室へ。看護師さんが両親の分の椅子も準備してくれる。みんな着席。ふと見上げると、先生の後ろに若い男性。かしこまって立っている。医師・・・かな?若手の医師か研修医か。目があうと会釈している。(の人どなた???
でも、担当医は何も言わない。ふむ、癌の家族への説明の様子を見学させたのかな?見学くらいいいけど、この若い人がmhkの手術中も何かするんかね。見学ならいいけど、頼むから半径2m以内には近づかないでくれ・・・等と考えているmhk。(そりゃ、どんなベテラン医師でも初めての手術はやってきたんだろうが、患者の立場としては優秀な人材を育てる余裕ないもん。)

家に帰った後、母が『あの若い奴はなんね?(← おいおい、かあさん、『呼ばわりかい!!』ってmhkに聞いてきた。知らんがな〜。『手術中に何も触らんように言うとかな。』(さすが親子、似たようなコト考えてたんだな・・・。そんなこと言えますかいな・・・。)

担当医が一通り、mhkに以前したとおりの説明をCT写真を示しながら両親にしてくれる。心なしmhkにした説明より、ゆっくりとしたペースで丁寧だ。(これは67歳の父と63歳の母に配慮したのかな?それとも見学者?がいたから模範的な説明をと心がけたのかな?等とmhk自身にとっては目新しい話じゃないから暇なもんでそんなことを考えていた・・・罰当たり!)

たまたま受けた健診で見つかったこと、右腎臓摘出するけど、片方だけになっても日常生活は困らないこと、腎臓1個の一流のスポーツ選手もいること等です。

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腎細胞癌発見4-母への告知-

2005年12月5日(月)
病院での検査で転移がなく、腎臓に限局した癌であったことがわかった。

帰宅後、

:どうだった?
mhk:腎臓に腫瘤ができているから右腎臓摘出することになった。腎臓は2個あって、それぞれ20%くらいしか働いていないから、1個取っても大丈夫だって。一流のスポーツ選手だって腎臓1個しかない人いるしね。手術は20日で、19日から10日くらい入院。腹腔鏡の手術だから回復早いって。(←2003年7月にmhkが卵巣嚢腫-良性-の手術を腹腔鏡でしているので、我が家では腹腔鏡は既知なのだ)
:そう、お任せするしかないね。で、腫瘤って一体何なんだろう?
mhk:まぁ、早い話が癌だね。画像診断で、組織検査は術後にするから確定では無いけど、造影剤投入した画像診断で十中八九癌だって言われた。
母:何であんたが癌にならないかんとかね。でも、なった本人が一番辛いんだもんね。
mhk:原因はわからないんだって。でも、食べ物が悪いとか、生活習慣が悪いとかそういうことじゃないって先生に言われたよ。
:仕方ないね。

mhkは2人姉妹。3歳下の妹は獣医師、妹の連れ合いも獣医師。どちらも青年海外協力隊経験者。年齢が少し離れているので協力隊派遣されていた時期はずれている。結婚後も連れ合いがJICAの専門家やシニア海外ボランティアで中南米に派遣され、妹が随伴家族として同行。帰国後福岡に移り、2005年当時はmhkが両親と住む家の近所に住んでいた。今は同じ市内だけどちょっと離れたところに引っ越した。

当時妹は第二子がお腹にいた。予定日は12月27日。mhkが入院することになっていた病院の産婦人科で出産予定。

因みに:

mhkの入院:12/19〜12/29
妹の入院:12/26〜1/4

妹の入院は早くから決まっていたけど、mhkが後を追って?同時になったわけね。因みに姉妹揃って同じ病棟。妹4F、mhk3F。

妹の出産に際して、母が上の姪(当時4歳)を預かることになっていて、mhkも子守の戦力としてアテにされていた。が、妹だけでなくmhkも入院。母の受難である。ごめんねえ・・・お母さん。貧乏くじ引いたのは結局お母さんだったよぉ〜。

話し終わって、しばらくしたら、母が妹のところにmhkの病気の入院のことを話しに行ってくると自転車に乗って出かけた。

腎細胞癌発見3-転移はなかった-

2005年12月5日(月)
この日、腎臓の癌が肺や骨に転移していないかの検査をして、最終的な治療方針が決まるのだ。先生にはなるべく家族も同伴と言われてたけど、、転移の有無がはっきりした後で両親に知らせたかったので、まだ病気のことは話さず、精密検査に何日かかかるとだけ話していた。告知されたのが木曜日。金曜日に腎臓の検査で、土日は病院休みだし、その間転移の有無がわからない状態で家族に話しても暗くなるだけだからね。それに母は土日旅行だったから、癌だったよって話して旅行台無しにしたくなかった。

癌だと言われた日、夕方帰ったら、ちょうど近所のお婆さんがお風呂で倒れてそのまま亡くなったとかで母がお通夜に出かけるとこだった。それと、父の元同僚(父は既に定年退職している)が癌になったよって両親が話していた。『やっぱり、この年(父は当時67歳)になると癌になるって人聞くよねぇ。』横で聞きながら、そんな年でなくてもなるんだよ。娘が癌になったって聞いたらびっくりするだろうなぁと、ちょっと暗くなった。

というわけで1人で病院には行ったわけ。
肺の転移を調べるのはCT検査、骨への転移調べるのはRIの骨シンチグラフィ(骨シンチ)。

その両方の検査を終えて、泌尿器科で担当医の診察。

前の週の金曜日に『まあ、小さいからねぇ転移はないでしょう。』と先生から言われていたけど、待合室ではドキドキ。嫌でしたね。今思い出しても、辛くなる。術後も経過観察のための検査にくるんだけど、当時のことを思い出すため、ここの待合室は苦手・・・。

担当医に呼ばれる。

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腎細胞癌発見2-ネパールに行けるのか、行けないのか?

2005年11月末に仕事辞めて12月東京研修、1月〜3月長野の駒ヶ根訓練所で訓練、3月末にネパール カトマンズへ〜と希望に燃えてた時、東京研修に行く2週間前に思いがけず健診(←それも自主的に行ってみた・・・)に引っかかり、精査で腎癌にビンゴ!

11月29日 腹部エコー検査 + 造影剤を用いたCT検査で泌尿器科受診要と放射線科医に言われる。
11月30日 会社退職日(ネパールに向かってまっしぐら〜の筈が気が重いまま送別会をしてもらう)
12月1日 無職になって、ネパール派遣への準備一直線〜の筈が泌尿器科 初診

初診にして『腎細胞癌』、治療として右腎臓摘出手術をその月の13日か20日に行うよう調整していると説明を受ける。他の臓器への転移がある場合は別の科での治療が必要だが、転移の有無に限らず右腎臓摘出手術は必要とのこと。転移の有無と腎機能の検査を翌日の12月2日(金)と翌週の5日(月)に行い、全ての検査データが揃ったところで治療方針を決めるので5日(月)の午後の診察にはなるべく家族と一緒に来るように指示される。

12月2日(金)
この日はRIで腎機能の検査。右腎臓摘出するわけだが、残った左の腎臓が働くかどうかをチェックするってことらしい。2時間前に静脈注射を打たれ(すっごく痛かった)、お水を飲まされた。多分測定まで2時間くらい待っていないといけなかったと思う。ちゃんと腎臓が機能しているか(多分血流とか排泄の情報じゃないかと・・・)をカメラで追っていくみたいな検査でした。

月曜の検査データが揃わないと治療方針が決まらないので、その日診察はなしで、そのままは検査終わったらそのまま帰っていいと言われていた。

癌と言われて一晩たって、少し落ち着いたmhkは、最も気になる術後にネパール行けるのかどうかってことをはっきり知りたいと考え、意を決して、泌尿器科の看護師さんに先生にお聞きしたいことがあると申し出てみた。検査終了後声をかけるように言われる。

RI検査
注射して、お水飲んで、腎臓機能の検査が開始。20分くらいのものだったと思う。なるべく動かないようにと言われる。腕は頭の方に万歳スタイル。ん?何だか腕が痒い・・・。そろ〜っ見てみると・・・大きな蚊がとまっている。冬だぞ!!!何で蚊が!!!しかもデカイ。だんだん痒みが酷くなっている。。蚊がいなくなった後痒い〜!!でも今動いたら・・・やり直し?いやだぁ〜あの痛い注射も1回だなんて・・。もう我慢できない〜!!って時に、検査技師の方を大声で呼ぶ。『すみません〜。蚊がに刺されてもう我慢できません!!!』(恥ずかしかったけど、死ぬほど痒かったの)

検査技師さんきてくれて、『あ、随分腫れていますね。カメラは下からだからもう片方の手を頭の上から回されて掻いても構いませんよ。』(そうさせてもらいました・・・。)

無事検査終了後、腕見たのだけど、かなり腫れがひどかった。腫れがひくまで1週間かかった。ホントに蚊だったのかは謎。何の虫?

検査終わって、検査技師に『こんな真冬に何で蚊がいるんですか?』って聞いてみたら、『ここの病院の建物随分古いから虫いるんですよねぇ・・・』という答えが返ってきた。

病院暖かいから医師、看護師、検査技師って冬でもわりに半袖のままの人多いよねぇ冷え込みきつい時だけは半袖の診察服に白衣羽織っていることもあるけど・・・。あんなに肌露出して虫に刺されないのかしら???って思いながらRI室を後にしたmhkであった。(この病院のスタッフは免疫できてんのかなぁ・・・因みに入院中、術後の経過の検査でもmhkはよくの病院で虫に刺されたよ。)

検査終わって、泌尿器科の担当医のお話を伺いに行く。
診察室に入っていくと・・・・

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腎癌が発見されるまでのmhkのバックグラウンド
2005年12月1日に腎癌告知される前のmhkのバックグラウンドをお話ししておきますね。

92年 地元福岡の大学院理学研究科物理学専攻の修士課程修了後、京都にある半導体メーカーに就職(開発部門で働いていました)

96年 Uターンで福岡に戻り、環境コンサルタントの財団に転職

最初、理事長秘書、科学実験教室の講師、後に部署移動で、環境分析をやってました。この財団に勤務している間にヒューマンアカデミーの日本語教師養成講座に通い、420時間修了&日本語教育能力検定資格取得

2000年12月 財団退職
2001年1月〜6月 オーストラリア メルボルンの日本語学校で教える。

帰国後
2002年4月〜2003年3月:派遣社員として経理課勤務(大学院に行く学費を貯めるため)
2003年4月 日本語教育の大学院へ入学
2005年3月 修士課程修了

在学中、2004年秋募集の青年海外協力隊に応募し、一次はパスしたが、二次面接で不合格

2005年4月〜11月 派遣社員として環境分析の会社で勤務

この間、2005年春募集の青年海外協力隊に応募して、8月に合格! H.17年度3次隊の派遣候補生となる。派遣国はネパール 配属先はカトマンズにあるJICAの研修を受講経験者の同窓会がやっている日本語学校。

17年度3次隊派遣の場合
2005年12月16日〜12月22日 東京で技術補完研修(日本語教師の職種のみ)
2006年1月6日〜      長野の駒ヶ根訓練所で語学などの訓練

これらの研修、訓練を修了した後、2006年3月後半に任国派遣予定でした。

腎癌告知は、ネパール派遣が決まり、12月の東京研修を受けるために11月末に会社を退職した翌日にされたのです。涙

人生って一寸先は闇なんですねぇ〜

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腎細胞癌発見1-38歳で見つかった癌-
2005年8月かねての希望どうりJICA青年海外協力隊に合格。派遣地は世界の屋根のネパール カトマンズ。転職重ねて、日本語教育の大学院修士課程修了後、協力隊受験の間は環境分析の会社で分析の仕事をしていました。契約は6ヶ月で9月でおわり。協力隊合格したので半年更新は断り、引継を新人にすることを条件に11月末まで2ヶ月契約更新。 12月は16日から東京で協力隊派遣の日本語教師対象の研修が1週間、年明けて1月6日から3月まで長野の駒ヶ根訓練所で語学などの訓練があり、3月末にネパールに派遣予定。 11月4日文化の日の翌日会社で器具洗いの際、腰を回して洗い終えた容器を床に置いた途端にぎっくり腰。ちょっと酷かったので、早退して整形外科へ。骨に異常なし・・・でも家で安静に。痛み激しく、痛み止めをもらう。これが胃にきて腰痛が治った後モノが一切食べられないほど胃が働かなくる。 そう!もともと痛み止めを飲むと胃がすぐ悪くなるので普段は座薬だしてもらってた・・・でも、あんまり腰痛が酷くて言うのを忘れて、前のカルテでは座薬の痛み止めだったんだけど、医師の方も飲み薬出したのね。 11月の半ば、胃の調子がなかなか治らず、ちょうど会社の健保で2,000円で胃カメラ含めた健診があり(健保が補助出したので)予約したわけ。安いし、会社辞めたら会社の健保の所属じゃなくなるから、補助出してもらえるうちにぃ〜って。(←けち?) 健診日11月29日 退職は11月30日。退職日の前日有休もらったのだ。30日は会社終わった後、社員のみなさんがmhkの送別会してくれることになってたから。 mhkが予約したのは胃カメラ、血液検査、子宮癌健診、マンモグラフィー、胸部X線の『生活習慣病健診』本人負担額は2,000円。

健診当日、約2週間後に東京研修なので、健診の帰りに旅行会社で東京行きの航空券を購入しようと考えながら、血液検査と胃カメラ検査のため朝食抜き、朝から水も飲めず家を出た。 健診順調に進んでいく。心電図測定で寝かされてたベッドの横にクリニックの院長登場。なにやら機械をベッドの横に引っ張ってくる。???『今からエコー検査ね。』 (おや?記憶は定かではないが、予約した『生活習慣病健診』にはエコー検査なかったぞ?)でも、もう院長がセッティングして『まだ若いからね、何も出てこないと思うけどね・・・。エコーは痛くないからね。』って言うのを聞いて、(そうかぁ〜動物のエコーと違って人間は毛刈りしなくていいもんねぇ〜。やったことないし、向学のために?受けておくか〜)と院長には予約してなかったとは申し出ずに、そのまま検査続行してもらった。 あとで確認したけど、エコー検査は本人負担額3,000円の『生活習慣病総合健診』に付いてたのだ。つまり2,000円の最初予約した項目にはなかった。 モニターみるように言われて、院長は検査しながら説明する。
『まだ38歳じゃね。若いもんね。酒も飲まないから肝臓綺麗だね。膵臓も異常ないね・・・ん〜〜!!!あれ?腎臓なんかあるよ。これ!!!2cmくらい。』 (う・・・・排尿のトラブルなんて生まれてこのかたないし、腎臓に何かある?結石?いや・・・2cmって結石にしちゃ大きいよね。7cmくらいの臓器に2cmの結石があって自覚症状ないってことはなさそ〜。それに結石ならエコーでわかるよね。『結石』とか『いし』って言葉は一切院長は口にしない・・・。)

診察時:

院長:2cmの腫瘤腎臓にある。ほうっておいていいもんじゃないよ。今受けた血液検査の結果が1週間後に出るから、それを持って、どこかの病院でCT検査受けなさい。
mhk:あの〜腫瘤って何ですか?
院長:まぁ卵巣嚢腫みたいなもんやね。(mhkは卵巣嚢腫(良性)の手術経験が2003年7月にあったことを既往症の欄に書いていた)
mhk:(って要は腫瘍よね・・・胃や大腸と違って、お腹切らないと組織検査できないじゃん!ってことはお腹切るの?良性?悪性?悪性なら癌???)頭の中にいろんな思いがさぁっとスキャンされる・・・。)あの、3月末からネパール行くことになってて、2週間後から研修なんで、CT検査すぐしてもらいたいんですけど・・・。

院長には造影剤打つCT検査には血液検査のクレアチニンの結果が必要だから、いますぐだと、またそこの病院で血液検査必要になるし、その日にやった血液検査の結果を待った方がよいと言われたのだけど、mhkは再び食い下がり、お願いした。そしたら、そのクリニックからわりと近い以前卵巣嚢腫の手術した病院の放射線科に電話かけてくれた。 たまたま今空いているから、すぐ来ていいってことになり、紹介状書いてもらい、直行。

はじめまして
はじめまして!
mhkと申します。福岡市在住の今は会社員です。

5月から始めたココログhttp://mhk-meise-linmoe.cocolog-nifty.com/
の中の『メモリアル-腎細胞癌』の記事をこちらに移すことにしました。

将来的には他の記事も全てこっちに移そうかと考えています。

みなさん、よろしくお願いします!

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プロフィール

mhk

Author:mhk
2001年:オーストラリア メルボルンの日本語学校で教え、帰国後、日本語教育の修士課程を修了。
2006年に4ヶ月青年海外協力隊(JOCV)で中国 大連市の中学校に派遣、2007年2月に福岡に戻る。今はちょっとおとなしく日本で派遣社員です。

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