腎細胞癌(腎癌)体験記
青年海外協力隊合格し、研修参加のために会社を退職した翌日腎癌告知!派遣中止・・・ 思いがけず腎細胞癌(腎癌)という病気が身にふりかかってしまいました。この体験を綴っていこうと思います。

お知らせ

本ブログは2007年8月開設! 5月開設のココログ mhkの旅路のメモリアル-腎細胞癌-の記事を本ブログに移設しました。今はその続きをこつこつ書き始めたトコロです。 mhkの旅路の方には今の術後検診結果のこと、最近福岡の風景、お花、鳥をデジ一眼、デジスコで撮った写真を載せています。そのデジ一眼はmhkが腎癌の告知を受けた翌日に購入したカメラです。

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番外編 最初のデジ一眼の写真-癌告知直後と入院前日-
mhkの愛機PENTAX ist DS デジ一眼レフのカメラ。癌告知が2005年12月1日で、その翌日12月2日に購入。詳しくは 番外編 癌告知直後の思い出-カメラのキタムラのPOINT CARD-を参照!

退院して完治して、絶対にネパールに行くぞという意気込みで購入したモノ。

今日、写真の整理をしていて、ハードディスクにあった、購入翌日の12月3日におうちのお庭で試し撮りした写真が出てきた。かなり適当にシャッター押してたので、あんまりいい写真ないけどね・・・。

鉢植えのミニバラを撮ったもの。

ミニバラ

その日は土曜日。前日の2日(金)は腎シンチの検査をして、主治医の先生に青年海外協力隊でネパール派遣が決まっていたことを初めて告げたのだ。その際、医者として両手を挙げて賛成というわけには行かないけど、ドクターストップかけるほどじゃないと言われ、ネパール行きをめざす意味もあって、帰りに購入したデジ一眼。

週明けて、5日(月)の検査が全て済まないと腎臓以外の転移の有無がわからないので、その週末はかなりもやもやしていた。腎癌のことがなければ、その土日は喜びいさんでお外に撮影に行っただろうに・・・。お庭でちょっと申し訳に使ってみただけでやめてしまっていた。(検査結果は転移がなかったのだが、その時はまだわからなかったのでね)

次にこのカメラを手に取ったのは12月18日(日)。入院の前日。腎臓以外の臓器に転移がないことは5日に告げられていたので、あとは20日(火)に主治医に切ってもらうだけ!と少しすっきりしていたのだろう。ちょっと撮影枚数も多かったよ。でも、翌日入院、翌々日手術ということもあり、このカメラを次に手にするのはいつ頃かな?ってシャッター押しながらちらっと思った。100%安全な手術はないということは重々承知。でも、死ぬかも・・・とは不思議と思わなかったね。怖いとも思わなかった。でも、ネパールに行けないかも、ネパールでこのカメラのシャッターは切れないかもっていうのは思ったかなぁ〜。
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番外編 癌告知直後の思い出-カメラのキタムラのPOINT CARD-
2005年12月1日(木) ある病院の泌尿器科で腎癌告知を受けた。

涙流しながら人通りの少ない海沿いの通りを歩き回り、しばらくして落ち着いて、街中の方へ。立ち寄った天神のカメラのキタムラでずっと欲しいと思っていたデジ一眼のカメラが安くなっているのを見つけた。型落ちのPENTAX ist DSが標準ズームレンズ DA 18-55mm 3.5-5.6 AL付きで¥55,000。店員さんに随分説明してもらって、欲しいぃ〜という気持ちでいっぱいになったけど、協力隊のネパール派遣が怪しくなって、使うこともないかもぉ〜と買わなかった。

翌日2日(金) 再び病院で腎シンチの検査をつけた後、泌尿器科担当医に協力隊に受かっていて、翌年4月からネパールに行くことになっていると告げた。『何寝ぼけたことを!』と怒られるかと思ってたら、意外や意外!『いいですよ。』と主治医。

『1年は経過を見た方がいいので、医者として両手(もろて)を挙げて賛成というわけにはいかないけど、ドクターストップをかけるほどじゃない。あなたの人生なのだから、あなたが決めなさい。』というのが主治医のお言葉。

ドクターストップをかけるほどじゃない程度の癌だ!!!ネパール諦めるコトないんだ!と心が随分晴れやかになり、病院を後にしてまっすぐカメラのキタムラへ!
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腎細胞癌発見22- 治療費の話 -

mhkのブログを訪れてくれる人の検索履歴を見ていると、青年海外協力隊、JICA関係と腎癌の関係の言葉が多いです。

このブログを読んでくださっている方の中には、今から腎癌の治療をされる方、今経過を見ているという方がいらっしゃるのかもしれません。

参考になるかどうかはわかりませんが、治療費のことをお話しておこうと思います。

mhkは元々理系の大学院を出て、技術職を10年ほど(転職もあったけど)経験して、その後、日本語教育のお勉強を始め、社会人入学で日本語教育の関係の大学院修士課程に進みました。

2度目の修士課程修了が2005年3月。在学中2004年の秋に1度青年海外協力隊を受けたのですが、その際は二次選考までいって不合格でした。で、もう1度チャレンジしたくて、修士修了後に2005年4月から環境分析の仕事を派遣社員(半年契約)として始めたわけです。環境分析の仕事は以前経験していたので、比較的仕事覚えるのに手間がかからないと思ったのです。4月募集の協力隊に応募して、受かったら次の半年契約の更新をしない、駄目だったら更新して仕事を続け、次の応募にチャレンジしようと思ってたわけ。

うまいことに2度目の協力隊受験で2005年8月にめでたく合格、派遣国はネパール。合格したので、半年契約を断り、2ヶ月更新にしてもらい、11月30日までの契約に。
もっとも・・・契約終了して仕事辞める前日の11月29日にたまたま受けた健診にひっかかり、退職日の翌日12月1日に腎癌告知されたけどねぇ。人生うまいこといかんもんです〜。

働いている期間中は派遣会社の健康保険組合(=派遣健保)の組合員。退職後2005年12月1日より国民健康保険に。どっちにしても本人負担は3割

国民健康保険料は前年の2004年の住民税を基準に計算されるのですが、社会人入学で学生やっていて、修士1年の時はバイトしてたのですが、2年の時は修論書かないといけないからほとんどバイトできませんでした。つまりほとんど収入がなかったその年は住民税ゼロ国民健康保険料が安かったわけ。

気まぐれで受けた11月29日の健診は派遣健保の健診サービスで健保が補助金出してくれて、たった3,000円で胃カメラ、腹部エコー、血液検査、乳ガン検診、子宮癌検診、心電図、尿検査、胸部X線など受診!これが運命の分かれ道・・・。

仕事辞めたら、東京での研修、長野県駒ヶ根訓練所での訓練を経て3月にはネパール〜のつもりだったから、病院に行っている暇なんてないし、国民健康保険には殆どお世話になるつもり無かったのですよ。それがお世話になりまくり!!!だったのですから、一寸先は闇です。ホント。

腎細胞癌発見21-退院の時の主治医の言葉 -

2005年12月29日(木)
もう病院も前日御用納め。看護師さんも少ない。
前日協力隊派遣中止、隊次変更申請も却下でしょんぼりモードのmhk。
2日前に出産した妹にもJICAの決定を報告。

午前中もう主治医が病室に来られた。通常勤務だとお休みなんだろうけど。
新しい同室の女性は病院で年越しだが、空いた病室も多い。
悪性腫瘍で優先的に手術日程に入れてもらったmhkと違って良性でそれほど手術を急がないケースだと、わざわざ年をまたいだ入院にはしないからね。
妹のように出産だと待った無しだし、年越し患者さんも多いけどね。

ドレーンチューブがついてた箇所の傷の消毒。ホント、この先生、消毒も全てご自分でされたなぁ〜。毎日来られてた。以前良性の卵巣嚢腫の手術の時は毎日は先生病室に来られなかったけど。手術直後に病室に来られたのと、抜糸の時に1回、後は外来でこっちから行っただけだった。あの時は術後全く調子が悪いこともなく、不安もなかったので、先生の顔見なくても平気だった。やっぱり今回は前と比べると大きな手術だったからかな・・・

消毒後、もうガーゼを当てるのではなく、絆創膏でいいことになり、絆創膏を貼ってもらった。

その後、術後に24時間採尿して検査した結果、血液検査の結果も問題なかったことを告げられた。説明し終わって、

主治医:年内に退院は可能ですよ。いつがいい?
mhk  :今日
主治医:あ、今日?
mhk  :はい。(だって、入院前は退院予定、29日か30日ってなってたし、もう抜糸終わったし、診断書書いてもらって(結局駄目だったけど)用事ないし・・・ mhk心のつぶやき)
主治医:あ、そう。じゃ、退院の手続きとるから待っててね。消毒薬出しておくから、家で自分で消毒してね。
mhk  :あの〜お風呂は入っていいですか?(手術以来お風呂入ってないので、もう限界〜!!!体は毎日自分で拭いてたし、髪は一度我慢できなくて、洗濯場で洗ったよ。)
主治医:あ、いいですよ。今貼ったのは(絆創膏のこと)防水性いいから、これを売店で買って帰って。これね。(と見せる)
mhk  :眼鏡がないとみえない・・・(視力0.1ないので・・・処置してもらう時はベッドに横たえているから眼鏡はずしてるのよね)
主治医:あっと、眼鏡眼鏡・・・(棚のところを探してmhkの眼鏡を取ってくれる)はい、眼鏡。
mhk  :(眼鏡をかける)
主治医:これね。(今さっき貼ってもらった絆創膏の包みを見せる)デルマポアドレッシング
mhk  :はい。(ふ〜ん。dressingは包帯の意味あるもんね。デルマってderma-って皮膚って意味だけど、そのドイツ語風読み??なんて、包みに書いてあるカタカナの横のアルファベットのスペルを見ながら感心してた・・。)
主治医:(看護師さんに)デルマポア売店にあったよな?
看護師;はい。

その後主治医は退院手続き取りに病室を出て行った。

やったぁ〜!!!!予定どおりぃ〜。

家に帰れるぅ〜

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腎細胞癌発見20-協力隊が見つけてくれた腎癌 -

2007年12月28日(水)
青年海外協力隊派遣の隊次変更申請却下したという連絡を健康管理センターの医療調整員から聞いて、がっくりきて、その日は随分泣いた。

夕食が終わった後こっそり病院の屋上の階段の所に行って、携帯で前の職場の人に電話した。その人には癌告知される前日にmhkの送別会が終わった後、健診で引っかかって病院に行かないといけないことを告げていたのだ。それ以来連絡してなかったし、心配していると思ったからね。今までの経緯を説明したら、さすがに癌と聞いてびっくりしてたけど、まあ早期発見でよかったと安心していた。その人はmhkよりちょっと上の女性。やっぱり女友達には全てが終わってから告げてよかったなと思った。今から癌で手術する!なんて言ったら過剰反応されただろうし、その過剰反応を見た時に自分がショックを受けるだろうと思った。

屋上は外で真冬で寒くてたまらないから、外には出ないで、屋上につながっている階段にぺったり座り込んで電話してた。電話終わった後もしばらくそこで座っていた。出るのはため息ばかり。ああ〜ホントに失業したんだなぁ〜。今までも転職したから無職の時もあったけど、全て自分で計画して方向性が決まってから仕事辞めてたので、無職の状態も別に不安じゃなかった。

今回初めて思いがけず、突然無職になっのだ。健診受けたの11月29日、手術が12月20日、青年海外協力隊派遣中止決定が12月28日。何だか悪い夢を見ている気分、階段に座り込んだまま、ぼぉ〜っとしていた。

しばらく座ってたけど、検温にやってきた看護師さんが心配するといけないし病院内を一回り散歩して病室に戻ることにした。なるべく動いて、腸の動きを元通りにしたいからね!元通りになって、次の道を考えなきゃ。

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プロフィール

mhk

Author:mhk
2001年:オーストラリア メルボルンの日本語学校で教え、帰国後、日本語教育の修士課程を修了。
2006年に4ヶ月青年海外協力隊(JOCV)で中国 大連市の中学校に派遣、2007年2月に福岡に戻る。今はちょっとおとなしく日本で派遣社員です。

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